告白
私の雑感シリーズで、一番触れることが出来なかった。触れることが怖かった。過去にそんな出来事があった。
明るく常に前向きな性格には変わりは無いけど、あの事件さえなければ私の人生はこんなに大きく変らなかったと思う。
「事件」
それは2001年の5月23日に起きた。
私は朝から娘の学校のお母さんたちと買い物と食事の約束をし、待ち合わせのファーストフード店にいた。
その頃の私は健康そのもので、ある会社で女性初めてのチーフインストラクターになり、店の運営から部下の指導、
かなり責任のある仕事を任され、特殊な職人的職業のためやりがいもあり、その世界でも会社でも女性の進出は
難しく男性の2倍3倍と仕事をして初めて認められる・・・そんな事も何くそと努力・勉強・辛抱の毎日だったけど
家庭・育児・仕事とフル活動し、充実した日々を送っていた。
人見知りしない性格も手伝って、仕事関係、学校関係、昔からの友達と時間があれば話をするのが楽しかったし
人を疑うとか憎むとか多少の好き嫌いがあっても、誰とでも話せることが自分の長所だと思っていた。
友人を待っている間に、他の友人から携帯電話が鳴った。
娘の学校の友人で、転校して来たお母さんだ。私はすぐ仲良くなりその方とも家にお邪魔してお茶を飲んだり
長電話したり、同じように・・・いやかなり仲良くなっていたと思う。
数日前から彼女が何やら不安定だと思っていた。
お子さんが思春期でそんな事を悩んでいるのかな?気にはかけていたが、仕事の忙しさ、家事の忙しさで
頭からすっぽり抜けていた。
電話で彼女はとても興奮した様子ですぐ来て欲しいというのだ。尋常ではない様子であった。
しかし、友人と4人との食事会は以前から約束していた事で、1人は1時間かけて来てくれる。
いくらなんでも・・・と思い、悩んだ末食事を終えてから午後に行くと返事をした。
あとから考えると結果的にこれが自分を救ったのだけれど、でもいつ行ってもこの事件から逃れるには
人の力が必要であった。
食事を終え、先に帰ることなど一度もしたことがなく本当に申し訳ないと思ったが
あの彼女のただならぬ声を聞き、私に助けを求めているのなら・・・と彼女の家に向かった。
途中、花屋でおみやげにオレンジのガーベラの花束を買った。元気が出るように・・・本当に彼女を思い心配だったのだ。
ふと見ると携帯の留守電が何件も入っていた。
「彼女の家に行っても逆らってはいけない」「行かないほうがいいかも」???
理解できない内容で、地下で食事をしていたせいか繋がらなかったんだと思う。
掛け直してみても今度はあちらが繋がらない。そのうち彼女から「早く来て欲しい!早く!」と叫ぶような声だった。
不思議に思いながらも、彼女が心配だという思いでガーベラの花束を握りタクシーに飛び乗った。
彼女の家の近くでタクシーを降り、普段霊感などない私だが何だかとても胸騒ぎがした。
でも、そんなこと考えても・・・友人が私に助けを求めているのだ、何か重い気持ちをかき消してチャイムを鳴らした。
「これ、綺麗だから・・・・」そうガーベラの花束を渡したとたん、私は彼女の顔を見て恐怖に凍り付いてしまった。
いつもきちんとしている決して派手ではないが几帳面な彼女がノーメイクで髪は乱れ、顔つきが別人のように
視線が定まっていない。そう・・・ドラマで見たら何かにとりつかれたような・・・体もじっとしてられない様子だった。
彼女は「遅いっ!!」と怒り、バタンとドアを閉めて鍵を掛けた、私が渡したガーベラを頭にかざし、
じっくり眺めて「これは・・・壁につけるもの?」と不思議そうに眺めている・・・。
目はつり上がり、小刻みに震えている手。笑っているのだがブツブツ独り言のように何かを言っているがわからない。
(彼女は病気?・・・・こ・こ・ろの病気?)心臓が爆発したように動悸が早くなった。
どうしょう・・・頭の中で逆らわない方がいいという友人の留守電が何度も頭の中でぐるぐる回っている。
彼女の家で過ごした3時間。私は恐怖で覚えていない部分と鮮明に今でも色や匂いまで覚えている部分と記憶が気持ち悪いように強烈に焼きつき覚えていない部分は悪夢として毎晩・・・・そう事件のあった今日まで毎日悪夢を繰り返すのだ。
つじつまの合わない話に相槌をうち、急に泣いたり笑ったり、タオルを細く細く巻き始め泣き笑いする彼女に
驚くというものを通り越して私はショック状態だった。
何とか逃げられないものか・・・・・唯一空いているベランダの窓と携帯電話を握りしてめていた。
彼女は何度も私に「今のあなたは黒なの白なの?」「あなたを救いたい」その言葉を繰り返し繰り返し視線の定まらない目で号泣したり笑ったりしていた・・・・。「あなたが好きだから、救えるのは私だけなのよ」
その顔つきは、ここで何があってもおかしくない異常な空間だった。
彼女は私より小柄だ。無理やり逃げ出す事も頭をかすめたが、恐怖で凍り付いてその勇気が出ない。
「殺意」
のちに彼女は友人にあの時、刺し違えても良かったとFAXしていることから、私の感じた恐怖もやはり正しかったのだろう。彼女はにやっと笑って「私はあなたが何をしてるか全部見えるのよ」と言った。
ここからは全部あとで知ったことである。
彼女の家から抜け出せたのは、実は午後に私がたまたま行ったからである。
彼女は、私を多重人格の精神障害と思い込み救急車を呼び、無理やり病院に入院させる予定だったのだ。
しかし、病院の受付は午前でしめきり。困った彼女は、子供の学校のカウンセリングを予約し、
そこで先生にも診てもらい取り押さえ病院に送り込むという作戦だった。
ここから何にしろ出られれば助けを求められる。徒歩3分の距離を彼女は車に乗ってといいロックをし、私を逃げ出さないように注意しているようだった。
到着し、荷物を彼女に取り上げられ、腕をつかまれカウンセリングルームに向かう。
あともう少し、あともう少し・・・で助かる。恐怖と安堵の入り混じった気持ちで先生の顔を見た。
先生の一体何事なの?きっと・・・きっと・・・色んな先生が来て彼女もご主人に知らせることが出来て解決するだろう・・
何の疑いもなく、そのカウンセリング室を開け、先生の第一声で私はもっと恐怖のどん底に突き落とされた。
「ああ、あなたがTさん?」
!!なぜ?なぜ、私が来ることを知っているの?
私には今朝の電話で呼び出され、突発的な出来事だったのに、どうして先生は私がここに来る事を知っているの?
!!留守電・・・そうだ、どうして友人たちも知っているの?
訳の分からない恐怖がまた襲いかかり涙が止まらず、先生のお説教のようなものを聞いた。
その時の彼女も先生の方には目もくれず私だけをじっと見つめ、先生の質問にはほとんど答えなかった。
1時間、その部屋で過ごし子供たちが帰る支度をして出てきた、私はその時、初めて担任の若い女性の先生に
助けを求めたのである。
「先生!私のそばを離れないでください。助けて・・・」立っているのが限界だった。
足の震えが止まらず、少し離れた所から子供と一緒に帰らないで私を見つめている彼女がいた。
「先生!離れないで・・・」彼女が帰るまで私のそばにいて・・・疑問だらけの出来事に恐怖で心も体もバラバラにされたような、何をされるか分からない・・・自由を奪われることの恐怖。
「拉致」・・・・・一体、私が何をしたの?恐怖の振るえと涙で現実感がなく、これは悪夢だ。きっと目が覚める。
その私よりいくつも若い先生だけが私の命綱のようにすがっていた。
そしてわかった事実。
彼女は学校の事務所や複数の保護者に私がスパイを使い学校をつぶそうとしているとか、色んな保護者宅に盗聴器を
しかけているとか、前々理事長の愛人だったとか・・・ものすごい妄想の数々をFAXしていたのである。
しかも、一番驚いたのが、FAXを見た友人は彼女が病気であると主任の先生に報告しているにもかかわらず
何の手立てもせず、彼女に精神病院を知らないか?と聞かれ(私を拉致して連れて行く病院)
なんと○○○病院と紹介したのである。
のちに私が「なぜ病院なんか紹介したのか、私が精神病に見えましたか?」と聞くと
真面目な顔で「そこの病院は知り合いの先生がいるので大騒ぎで新聞沙汰になったとき抑えられると思って」
・・・・・呆れるのを通り越して怖くなった。
二人の先生に長時間、口止めだけを強くされ今日の計画の流れは教えてもらえなかった。
のちに知っていた友人が教えてくれたのである。
その友人は、大変だと思い校長に電話し、何とか危険を知らせようとしたが、計画に加わった先生には取り次いでもらえなかったそうである。そして、私の携帯番号を学校から聞き、留守電に入れたのだ。
私はプライドとか自尊心とかあまり気にしない性格なので、たとえ多重人格者に間違えたらそれでもいいのだ。
そんなことで傷つきはしないのに、先生方は一度だって私を精神を病んでいるなんて考えた事はありませんと
繰り返し言っていた。
私はそんなことが聞きたいのではない。なぜ、私に危険を知らせてくれなかったのか?
怪我をしなければそれでいいのか?
そんなこと補償できる状況ではないのに、謝罪のひとつもなく言い訳に徹した教師たち。
口止めに徹した教師たち。
私の気持ちの行き場はどこにも無い。
知っていてどうなるのか楽しみにしてた保護者もいた。
それを電話で噂話の一つとして楽しんでいた。
こんなにも私が拉致される事を知ってる人たちがいたんだ・・・「人間不信。」
人間が怖く事件後、昼間でもカーテンを閉めて、毎日泣いていた。
ミゴロシニサレタノ?
食事も一切通らず、震えで文字も書けなかった。
一番困ったのは、その時の恐怖の数々を再現した悪夢である。自分の絶叫で飛び起きる。
体重はみるみるうちに10kg落ち、悪夢のため、まとめて寝ることはその日以来、今でもできない。
歩くのもやっとで、今日はごはんを10粒食べた。
そんな状態で服のサイズも5号になって、それでも学校の役員を引き受けたばかりで、全エネルギーを使い
行事の準備も任された仕事は意地でも頑張ろうと無理をした。
学校に行くと人間不信で足が震える。それを隠すため私は思い切り足をつねり作り笑顔で頑張った。
風呂に入ると、いくつもの大きなアザが悲しくて、シャワーの音で泣き声を消しながらいつまでも泣いていた。
大好きな仕事もそんな状態で、心身とも限界。血尿が出て自分でも、絶対に会社には迷惑かけたくなかったので
後輩に私の仕事を引き継ぎ、事件後3ヶ月で退社した。
7年間、自分の生甲斐でもあり、良きチーム、良い部下に恵まれた思い出深い職場を去る時、涙してくれる可愛い部下に
「ありがとね・・・今までありがとね。」後ろ髪を思い切り引っ張られながら、なぜこんなことになったのか
突然、降りかかった自分の人生にこの先は何も考えられなかった。
仕事を辞め、家にこもる毎日だったけど、真実を知りたくて、事前に知っていた人たち全員から話を聞いた。
FAXも事件前や事件後の全てを見せてもらった。
彼女の言い分は、私が幼い時に虐待を受け多重人格になり、自分が覚えていないうちに人に悪さをし、盗聴器やスパイを
使い学校をつぶそうとしている。それを救えるのは自分だけである。だから無理にでも精神病院に連れて行こうと思ったようだ。前々福祉園の愛人だったとか(その頃、計算すると私は高校生、相手は老人である)
娘を寝かさない虐待をしている(虐待ではなく元々睡眠障害があり中々寝てくれないのだ)もちろん虐待などしていないし全て彼女の妄想に過ぎない。両親の名誉のために言うが、私は本当に可愛がられて慈しみ育ててくれた事をいつも感謝している。虐待などとんでもない話だ。
結婚や親の介護で退職する先生は、すべて私が脅して辞めさせた。
そのFAXに非現実な私への妄想が細かく書き綴っているのを一度には目を通せなかった。
本当の私は天使のような純粋な人間で多重人格の悪い私がそうしている。
正直、吐き気がした。
何度読み直しても理解できず、なぜ妄想が私に集中したのかいまだに理解できないでいる。
ただ、不思議と憎しみより彼女は病院に行ってきちんと治療を受けているのか、そんなことが心配であった。
そして、この事で彼女のご主人が私に対して謝罪なり何らかの話があるのではないかと疑わなかったが
いくらたっても、何の連絡も無かった。
それで私の夫と彼女のご主人、校長・教頭・計画を知らされていた先生と話す機会を作ってもらった。
夫の友人は医者をしているので事前に相談に乗ってもらい、本当に本当に私たちは純粋に彼女が心配で夫が
病院に行かれた方が・・・という言葉を発した途端、彼女のご主人はいきなり大声で怒鳴った。
「あんたの奥さんがベラベラうちの事をあーでもない、こーでもないというから精神的に追い込まれた。
確かに23日はおかしかった。でも人の女房をキチガイ扱いすんのかよっ!!」
さすがの夫も驚いてしまった。
普通なら何か謝罪の言葉などが出るかと思ったら、いきなりまたとんでもないいいがかりを言われ、
仕事で忙しくそんな噂話もしている暇もない私が、彼女の事を悪く言いふらしていると疑わないのである。
のちにあちらのご主人は、これが謝罪だと、謝罪はした。と断言なさったがその時は夫をはじめ先生方もただただ驚くばかりだった。
今にして思えば、この時に彼女のご主人の誠意と彼女の話を半信半疑で信じてしまった先生が本当に間違いを認め
謝罪をしてくだされば、そのあとこの問題は大きくもならなかったし、お互いに深く傷つく事も無かったと思う。
そこから始まってしまった諍いは、自分の人生を大きく狂わすほどの試練でしかなかった。
人の口には戸を建てられない。
FAXの内容に驚愕した保護者は、もちろん怯えているし学校の対応も口止めするだけで責任をとるというやり方ではなかった。人から人へそこに尾ひれもその人の意見も加わりあっという間に知る所となった。
私は両親や兄などの厚い庇護の元、世間知らずだったのかもしれない。
人を疑う事を全くしなかった。突然起きたこの事件を友人なら心配してくれると思った。
ここで初めて友人だと思っていた人の本当の顔。
今まで仲良く話をしていても学校に付いた途端「学校では一切私に話しかけないで、あなたと仲が良いと今度は私がやられるかもしれない。早く離れてよ!」
私は何も言い返せなかった。何か言えばその場で涙が出そうで、校庭の隅に行き涙を必死にこらえ空を見た。
どんなに上を向いても涙が伝う。
私が何をしたって言うの?
何を言っても彼女の心にはもう届かないんだ・・・心はだんだん疲れ自分を追い詰めていった。
悪夢は拍車をかけ、震えや動悸も日増しにひどくなり、時折過呼吸発作を起こし、貧血で気を失うような
症状が私を苦しめていった。
毎晩、彼女と私の二人きりの夢を見て恐怖で凍りつき、寝汗と絶叫で飛び起きる。
その時に出してくれたみかんと私が持っていたオレンジのガーベラがみょうにリアルに鮮明なオレンジでそのうちその色が血の色に変っていくのだ。
悪夢は誰でも時々は見るだろう。でもあきらかに違うこの悪夢は、見るたびにまるで昨日起こった出来事のように
新鮮な記憶としてまた一日が始まる。寝るのが怖かった。両親や友人の前で無理に明るくして平気な振りをするのも
だんだん疲れていった。そのためのアザは足全体と言っていいほど、ものすごい色になっていた。
頭の毛はある部分だけ綺麗に抜け落ち、生えては抜けてを繰り返した。円形脱毛症。ウイッグをつけて外出した時期もあった。
友人と思っていた人が、学校とトラブっているとわかると1人、また1人と離れていく。
本人は態度には出さなくても、そういうのは簡単にわかってしまうものだ。
疲れた・・・・転校させてもう楽になりたい。
ありとあらゆる学校を探したが全て断られた。娘の障害が重いからである。
友人であると思っていた人に電話をし、辛い思いを打ち明けた。彼女はあきらかに冷たく辞めたければ辞めればみたいな
言葉を放つ。ああぁ・・・この人も。すぐあとでわかったことだが、その人は私を抜きにして飲み会やら食事会など開いては
色々言っていたらしい。裁判好きな女。(その頃、もう当事者同士では冷静に話が出来ないと思い弁護士を挟んで会話の言った言わないなどふせぐため、間に入っていただいていた。)嘘つきな女。
妄想の何かを信じているみたいだった。「嘘を言ってるに決まってるじゃないですか、あはは」普通、母親同志の付き合いに口出しなどしないご主人が、私を孤立させようと飲み会の席で言う友人の夫。
毎日のように私の友人の家に電話をしては、母親らしくないとか何をしてるか分からないなど、根拠の無いいわゆる陰口のオンパレード・・・。いろいろ言ってるよー。そう教えてくれる人たち。
疲れきっていたが、これ以上嘘の噂は辞めて欲しいと直談判。
「あ、そうじゃあそれは忘れて!」人の痛みの全くわからない人間だと思いながら、最後には「ごめんね、また仲良くしてね。」と言って来る。
大馬鹿の私は、懲りずにそれを信じ、またくそみそに言われ、それが耳に入る。
上っ面だけで人を見ていたのか、人間はいざとなり本当の友人、本当に良い人が見えてくるものだ。
悔しいとか怒りとかもうそういうものを全てひっくりこめて、その孤立させるのがお好きなご夫婦とは疎遠・・・
いや本当に願い下げで、初めて人が嫌いだと思った人間だ。
人を呪わば穴二つ。それでもいいくらい憎しみがわき、遺書にも今もその人の焼香は断るように書いてある。
そんなことの連続でも誰にも弱音が言えず、もう何もかも限界で私は生きる気力を無くしていた。
眠れない夜、カーテンレールに紐をかけ夫が気付き、手足を抱きしめられたまま、泣き明かした夜もあった。
踏み切りに何度も電車を見送り、電車の自殺は残った家族に迷惑がかかるのだ。そう言い聞かせてやっと家に帰れた日。
休みの日は知らないビルを歩き回りここなら確実に死ねる見知らぬビルを当ても無く探すのが癖になった。
今でも、あるビルの屋上に上がり、さあ!と思った時の事を忘れられない・・・。
その時に携帯がなったのである。
留守電にメッセージを入れてくれた友人だ。
彼女は、大丈夫?皆、ひどいよね。気付いてない振りしてるけど、本当はとっても傷ついているんでしょう?
あと数分その電話が無かったら、私は生きていなかったと思う。
子供の前で暗い顔をするのは嫌で、無理して明るく家でも外でも頑張る力がもうかけらも残っていないのに
馬鹿みたいに元気な振りをした。
そう・・・心の中はまさに血だらけだったのだ。
何も言葉に出来ず、幼児の様に大声で泣き続け、いつまでも受話器を握り締め、絞るように「ありがと・・う」と言った。
私は階段を急いでおり、心療内科の予約をし、初めて事件以来「心の傷」と向き合う事を決めたのである。
死にたい・・・でも死んでたまるか!あんなはちゃめちゃな何一つ心覚えの無い事で私が死んで喜ぶやつがいるのなら
生き抜いてやる。子供を残して死ねない。出来のいい子供たちではないがあの子達を悲しませたくない。
まだまだ危なっかしい私は、確実に心の傷が、生死にまで及んでいる事がわかり、「人は傷つくとどうなるか」の著書の
1人。東大の助教授の治療を受ける決意をした。
心療内科など今まで全く縁が無く、凄まじい量の質問用紙に丸をつけ、初めて先生と出会った。
私は冷静にことのいきさつを説明したかったが、先生の顔を見て今までの辛かった事全てが思い出され
我慢していた涙が止まらず、ただただ「・・・・・・た・す・け・て」としか言えなかった。
それが一年間、1人で笑顔で耐えていた心の本当の叫びだったと思う。
診断名「重度心的ストレス症候群及びうつ病エピソード」いわゆるPTSDだ。
先生が19年間、色んな患者と接してきた中、それも一番重いPTSD症状。
完治は難しいかもしれないと言われながらも、私は死への気持ちと決別したくこの先生と戦う事になる。
冷静に説明してくれた夫の話しに医師は深いため息を付いた。
こういう事件の場合、第一条件として加害者と離れないと完治など持っての他だとおっしゃる。
それはそうだが、あちらは頑として自分たちが正しいと主張しているので辞めるのだのとんでもない話だ。
しかも、肝心の学校がこの問題に対して、こっちでもあっちでもいい顔。つまりきちんとした善悪を言えない及び腰。
学校の評判が落ちないよう口止めばかりで、まだ事の重大さにも気付かない。
これでも私も教師の娘だ。「聖職」とは死語になったのか、保護者と教師と言う枠を取り払って善悪と言うもので
物事を考えられないのだろうか・・・
数人の先生、いや・・・その時のほとんどの先生が善悪はわかっていた。
でも、それを上の先生に直訴するほどにはならない。教師もサラリーマン、縦社会だ。
ついこの間まで、いい先生方・優しいお母さん仲間と思っていた私は、人間の「いざ」という時の顔を嫌と言うほど
見てしまった。世間知らずかおのぼりさんか、おめでたい私は人間のずるさ、弱さを嫌と言うほど知る事になった。
しかし、逆にダイヤモンドの岩石のように人を慈しみ人の痛みを自分の痛みに置き換えて私を最後まで支えてくれた友人もいた。絶望の中の一筋の光のように、それは優しく私を生きる希望へと引っ張りあげてくれたのである。
友達は量ではない、質である。その時、しみじみその友人たちへの深い感謝ともしその友人たちに何かあったら、どんなことをしても裏切らず、全力で力を貸そうと心に誓った。
病状の方だが、今のところやはり完治は難しい。
うつ状態も繰り返され、ずっと立っている事も出来ないときもある。
計画に加わった先生が事件から半年、初めて謝罪した。
他の先生がとうに理解し、とんでもないミスティクをしたことを時間をかけて説明してくれたのである。
他の先生も私も、もうやれやれという気持ちだった。
私は全てに見捨てられたのではなく、心の綺麗な友人、単純に自分が私の立場だったらと考えてくださった先生方に
命を救われたと思う。いつのまにかすっぽりうつ病になり自分の楽になる方法は死しかないと思ってしまっていたのだ。
その後の彼女の言動やFAXから、妄想について全て事実であると頑なに思いこみ、私の誤解を解くゆとりもないようで
ただただ、正しい治療をし、元の優しい彼女に戻ってくれればと願うばかりだが、もう壊れた器は元には戻らない。
不思議なのは、治療して4年経ち、彼女に対しての憎しみや嫌悪感は想像するほど大きなものではない。
病人を怒っても、それは誤解だといくら友達が説明しようとしても、何もかもが無駄だった。
せめてご家族が理解を示して欲しかったが、私がそういう風に混乱させたと聞く耳を持ってくださらない。
あちらへのアプローチは精根尽き果て、もう謝罪もいらない、話すことさえも大きなストレスになり、弁護士の友人に
全て任せた。
しかし新しい校長となり、その中途半端な状態が許せなかったようで、ある日校長室に夫婦で呼ばれた。
校長の話は、「謝罪を受け入れ和解してください。でなければお嬢さんは学校を辞めてください。」
私も夫も耳を疑った。喧嘩両成敗じゃあるまいし、彼女と教師がくわだてた事件で私は100%被害者である。
にもかかわらず、まわりの保護者、ご主人の言動で死まで追い詰められた上、学校の代表として謝罪どころか
無理やりの和解に娘を人質にしたのである。
娘には何一つ関係の無い事だ。信じられなくてただ涙があとからとめどなく止まらなかった。
夫は拳を握り締め、必死に我慢している。
こんなことなら警察に届けて、裁判で決着を付けたらどんなに良かった事か・・・
学校を愛するがこそ、隠密に話し合いをしてきたのだ。だから弁護士も友人で弁護料は一切払っていない。
これ以上、私が責められ生きる希望をなくさないように夫や友人の配慮であった。
ここを辞めさせたら娘に行き場は無い。
拳を握りながら、夫は何点かの条件を出し、その脅迫を飲んだのだ。
私は新校長の横に座っている、前校長。娘が入学した時の小学部の主任の先生だ。
黙って泣きながらいつまでも見つめたが、最後まで私の顔を見なかった。
これが養護学校という福祉の心を持つ学校の教師か・・・・心配した友人・家族の怒りは相当なものだった。
人の傷口に塩を塗る友人夫婦。人の痛みも善悪をも曲げる教育者たち。
「人間不信」
4年間のPTSDとうつ病の治療は、最先端のEMDRという治療も含めて今もかつ進行中である。
限りなく治らないケースも犯罪被害者のカウンセリング、投薬、友人の心温まる真実の友情に
私はどれだけ助けられただろう。
まとめて寝ることも悪夢もつかまれた手を触られると驚愕するのもあまり進歩が無いが、
絶望の淵から手を差し伸べてくれた友人や家族の顔は決して忘れない。
腐らず、私は決して自分が軽蔑した人間のような生き方だけはやめよう、背筋を伸ばして、自分にも友人にも誠意を持って生きていく。
人は何かに絶望した時、傘を貸してくれる人が欲しいのではない。
一緒に雨に濡れてくれる人が欲しいのだ。
自分がぬくぬく暖かい部屋にいて、可哀想ねなどと言っても何の意味も無い。
心とは共有する事で分かり合える。私にはそんな友人がいればそれでいい。
例え治療に一生かかっても、完治など無くとも、本当の優しさを触れることができたラッキーな人間だ。
同じように濡れている友達がいれば、一緒に濡れて寒さをしのごう。
死に関する欲望は、もうほとんどない。
動悸・悪夢・不眠・フラッシュバックがまだ苦しめるが、上を向いて歩こう。
時には泣きながら歌った、上を向いて歩こう・・・一人ぼっちの春だと絶望し何時間も線路を見つめたあの日。
気を失い顔面打撲で救急車に運ばれた夜。病院のベットから天井を見つめ一睡もしないあの日。
友人が彼女は嘘なんてつかない!!と激怒してくれたと聞いたあの日。
人にはもうずいぶん前の出来事になっているだろうが、PTSDは出来事が風化せず、そこだけ過去にならないのだ。
告白
私は重度のPTSD患者として仕事も生きる力も無くし、でもここまで生き抜いた。
これからも流される事無く、自分の足で上を向いて歩く。
自分がこういう状況になって、よくわかる。
PTSDやうつは決して心が弱くてなるのではない。人に甘えられず真面目に生きようと思う人ほど苦しめる。
仕事をなくし、人と会うのも辛い時、パソコンで色んな人がいることを知った。
何気なく気分転換に作ったドライフラワーが今は自分の仕事となった。
人が怖くて猫も飼った。
花や動物は私を苦しめたり傷つけたりしない。
私の辛い辛い事件。
「告白」・・・・いつか誰かに大声で言いたかった事件。
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