思い出話                  
 
父は真面目である。
    ずっと高校の国語や古典の教師であった。
    NHKを見ていて漢字が間違えていると電話して指摘する親切なおっちゃんだ。
    家族旅行に行くと歴史上の人物の墓めぐり。そこで講釈が始まる。本物のウンチクだ。
    母が「あら、綺麗な花ね〜」などと言ったら、「これは○○科の植物で・・・・・」とそこから
    20分くらい授業が始まる根っからの教育者だ。
    
    母とはひとまわり、つまり12才年上なので 戦争世代だ。冗談は通じない。
    だから私は若い母と父にとっては遅い子になるのだ。
    年の離れた母は童顔で父は年より老けて見えるからよけいに夫婦には見られない。
    趣味は囲碁、南画(掛け軸などに描く絵)、寺めぐり、骨董品収集。
    しかし、真面目な部分だけではなくパチンコもしたりする。
    海というパチンコをするのだが、そのキャラクターにサムという男が登場すると当り確定だ。
    父にいくら教えても「青年が出てきた」と言う。
    
    門限など厳しい父は、私の出没するところへ怖い顔して迎えに来る。
    帰ったら正座させられて説教されるのである。
    そういう時に限って友達のお母さんと遭遇し「あら〜今日はおじいちゃんとお散歩?いいわね〜」
    幼稚園の先生も「今日はおじいちゃんのお迎え?良かったね〜」
    ・・・・・・・全然よくない。放っておいてくれ。
    私の服装にもいまだに派手だとかマニキュアはやめろとか髪が赤い黒くしろとか説教が始まる。
    中学生の頃、オーバーオールというジーンズの服がなぜか欲しかった。(今考えると相当の悪趣味だ)
    何を買うにしても父の許可がいる。
    父はオーバーオールを知らないので着ている雑誌を見せると「不良が着る物だ!」と怒った。
    私はオーバーオールを着ている不良は知らない。
    
    父は真面目だ。
    いつのまにかすごく年をとり本物のおじいちゃんになった。人工透析もしている。
    今も何かあると「けしからん」という父。
    子供は褒めて育てろと言うが、私の記憶にある限り父に褒められたことは一度もない。
    父の真面目さと母のお茶らけた要素をミックスさせた二人の製作物が私である。童顔は母譲りで助かった。
    もっともっと長生きしてね。私はもしかしたらすごいファザコンかもしれない。


  父は真面目だ。
    昔、自動車免許をとろうとして教習所に通ったらしい。
    私の通った頃でも、なんて教習所のやつらは態度が悪いのだろうと思ったくらいだから
    戦後、父が教習所に行ってもめないわけがない。
    父の教習所通いは一日で終わった・・・・。一日中けしからんと怒っていたらしい。
    
    その代わりに父の移動手段は全て自転車だ。それも並大抵のチャリンコじじいではない。
    その当時誰もそんなこと挑戦しない自転車日本一周をしたのだ。
    学校の夏休み、生徒に見送られてでかでか新聞に載った。
    生徒や他の先生方からすごい、すごいと言われたが、家族はちっとも嬉しくなかった。
    計画では、車の免許と新車で旅行に行くはずだったのだから。
    もちろん無事帰宅してからも通勤に自転車。遠くの病院に行くのも自転車。83歳の今も自転車。
    
    そんな父の血を受け継ぎながら私は自転車に乗るのが遅かった。小学校6年生ではじめて乗れたのである。
    私は末っ子だ。服でも何でも新品ではなくおさがりが多い。
    私が欲しかったのはピンクや赤の自転車だ。しかし父は兄の青い自転車に乗れと言う。
    そして兄は児童用のその青い自転車を卒業しサイクリング車というすごい取っ手の新品を買って貰っていた
    茶色のセーターは我慢しても、それには少しむかついた。「たかが先に生まれただけなのに!!」
    その愚痴は兄の耳に入りいつものように取っ組み合いが始まった。
    「わかったから!!やめろっ!!」
    父の怒声と、おや〜?買ってくれるのかぁ〜?・・・・めめっめ珍しい!!
    次の日、学校から帰ると父が「赤い自転車だぞ!大事にしろよ!掃除も自分でするんだぞ!」
    「うん!!♪」踊り狂うばかりに喜んで家の裏に回った。
    ・・・・・・・・目が点になった。
    「もう乾いてるぞ!」・・・・・・・・。兄の青い自転車を赤いペンキで塗っただけ。
    父は真面目だ。物をとても大事にする。
    ゴミ箱チェックというのがあって、ノートがあと1ページでも真っ白だとメモにできると怒ってゴミ袋から
    取り出して説教をくらう。鉛筆も鉛筆サックという銀色のシロモノが当時はあってそれをつけて限界まで使え
    と教えられた。我が家では父が修学旅行の引率中に掃除するのが技だった。
    そういう時の結束力は固い!!しかし、チャリンコは私も兄も父の血をしっかり引き継いでいた。
    今でも私や兄は2駅3駅なら自転車で行動する。
    ちなみに余談だが・・・・・・・・母は料理上手だが自転車に乗れない。


  よく電車の中でMDウォークマンを聞いている人は多い。
    人が何を聞いているのか実はすごく知りたいと思うのは私だけだろうか?
    時々、ベースや低音のリズムだけが聞こえるときがあるが、何の曲だかそこまでわからない。
    実は私も仕事をしていたとき、毎日MDウォークマンをして通っていた。
    何せ1時間45分も電車に乗るので本かそんなものでもなければ苦痛で仕方が無い。
    私の職場に聞くものは決まっていた。職場に行くのにテンションが下がっていては困るので
    バラードや寂しい曲はタブーである。一番好きなジャンルのノリノリでいかないと職場で元気が出ない。
    私は中間管理職だった。常に20人前後のバイトや社員に技術や仕事を教える。のべ300人は教えてきた
    常に自信と責任と厳しさを兼ね備えていなくてはいけない立場だ。
    そんな私の好きなジャンルは・・・・・・。
    
    「アニメソングマニア」
    特に好きなものは、勇ましい曲。グレートマジンガーやゲッターロボ。宇宙船艦ヤマトなぞ鳥肌立てながら
    これから地球を(職場を)救いに行くぞ!!のノリで聞いていた。
    「チーフはいつもどんな曲を聞いていらっしゃるのですか?」と聞かれ「いろいろ!」
    何を聞かれても「いろいろ!」で通していた。
    しかしプライドなんぞ無い私はあんまり聞きたがるから聞かせてあげたら、口をぽかんと開けて大笑い
    すごい驚いていたけれど、職場のブームにもなりカラオケに行ってデビルマンの大合唱などいい思い出も
    できた。
    だが、私の変な所は悲しいときもアニメソングなのだ。
    みつばちハッチやフランダースの犬とかそんな曲ではない。
    なぜか泣けるのが「大ちゃん数え唄!!」

    泣くのが嫌いで職場で一度も泣いたことの無い私は、帰り道辛いことがあっても家に入るまでは・・・
    家に入るまでは・・・・とこらえる時にいつも聞いていた曲。こんな曲で泣ける訳が無いと思って聞いていたのだが
    その馬鹿みたいな明るさと、子供の頃に帰りたいな〜という少し危なくてセンチなアダルトチルドレン。
    
    ♪ひとつ人より力もち〜〜〜ふたつ故郷あとにしてぇぇ〜〜〜♪その頃から私は天童よしみの歌唱力を絶賛
    していた。そんなことはどうでもいいのだが、あまりに悲しいときにばかり聞くものだからこの曲が流れる
    とボロボロ泣けてくるのだ。一人部屋に入ってこの曲を聴きながら声を殺して泣く。
    だいたいこの曲でよく泣けると人は言うが、もう号泣である。「ううううにゃんこせんせ〜〜〜」
    ・・・・・・・・私は少し趣味が変わっている。しかし昔々、フォークソングのコンサートでOLが一同に泣く方が
    私には不気味で仕方が無い。


  涙

    私は少し感性が人と違うのか、映画とかドラマとかあまり泣けないのである。
    以前、タイタニックを見た友達がハンカチじゃなくてミニタオルを持っていった方がいいと言われ、その気に
    なって見に行ったのだが、どこ?どこ?どこだ〜泣く場面?って探しているうちに終わってしまった。
    あとで友人にここの場面とあそこの場面と説明を受けたが、はー。そんなに泣くほどかー?と思ってしまう。
    その反面、料理上手の母は女優だ。トイレから出て前後の脈略がわからなくてもご対面コーナーで
    抱き合っている親子と泣いている徳光さんを見て号泣する。
    母似の兄も北の国からマニアで田中邦衛のつぶやきなんかで泣いてたりする。
    そのうしろで私が田中邦衛のマネをして、頭をぶん殴られる・・・・・・。

    私がぐっと来るのはニュースである。
    そのニュースを追っかけたり、その被害者の遺族の方の本を読むと胸が締め付けられる。
    特に虐めで自殺した男の子の遺書はいまだに忘れられない。
    「このままだと生き地獄になっちゃうよ」
    そんなに遠くない中学校で昔々そういう事件があった。
    私は、どんなに辛かったんだろうとついその子の気持ちにまで思いがはせてしまう。
    作り物ではない、現実のリアルな出来事。そしてそんな死に方を子供が選んだ親は、まさに生き地獄だろう。
    北朝鮮の拉致もそうだ。人生を狂わせられてどんな思いがするか、まだ未解決の部分が多いこの事件は
    本当に私にも何かできないかといつも思ってしまう。

    そして男の涙。
    ま、兄は別として、私は父だとか身近な人の男の涙というものにお目にかかったことが無い。
    父の涙など一度も見た事が無いから、男たるもの涙は女、子供が見せるものと思い込んでいた。
    あーそれなのに、それなのに・・・・・・。

    私がカジノのインストラクターをしていたとき、お手本としてよくテーブルに入り実際にお金ではなく
    チップを預かるというシステムで営業しているお店にもディーラーとして務めた。
    ブラックジャックをしていたときのことである。
    22歳ぐらいのお客さんだったと思う。顔は黒ブチめがねでおぼっちゃま君みたい・・・。
    ただの遊びなのに、負けるとすごく悔しがっていた。
    あまりに悔しがって歯軋りするので、「おしかったですね」とか「あーもうちょっとでしたね」などと
    こいつアホかぁ?と思いながらもなだめていたその時!!
    また負けた。その瞬間、下を向きポロポロ涙を流したのである!!
    (嘘でしょ??たかがゲームだよ!!ガ・ク・ゼ・ン・・・・)
    私はギャグは得意だが、あまりに有り得ない設定となるとこっちも焦る。
    「あ・・・あの・・・・お客様?な・・・なにも泣かなくても・・・・つ、次は勝てますよ!ね?」(嘘だろ〜こいつ)
    そのまま、ピューッとちり紙を握り締めてトイレから30分は出てこなかった。
    一人テーブルに残された私は(あーあ・・・・泣かしちゃった・・・。でも、普通泣くかぁ?)一人混乱。
    事務所で仕事が終わり、その状況は皆見ていたらしく、さんざん♪あ〜〜ららこ〜らら社長に言ってやろ♪
    と部下に大合唱された。
    そのお客さんは、何度もいらしたがその後5回ぐらい、また泣かした。
    そのうちただ呆れるだけになったがその人から、一緒に映画を見に行かない?と誘われた。
    キモイ!ケッ!誰がお前なんかと・・・・と思ったら、ニコニコしながらピカチュー見よう!!と言われ怖かった。
    (嫌いな人に好かれる傾向は大人になっても続いていた。残念!)
    
    私は、カジノの仕事暦は一番長い12年だ。Vシネマシリーズにも出たり、教える仕事はブームのとき
    沖縄、鹿児島、岡山、山梨と各地にも行った。
    この仕事を通して世の中にはいろ〜〜〜んな人がいると初めて学んだような気がする。
    もちろん・・・・このエピソードはほんの一部である。


              鬼太郎!わしゃプロフィールに戻るぞい!

              その3だぜ〜