ちとセンチなあんな自分こんな自分
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私の家は18歳に家を建て直すまで、それはそれはお世辞にも綺麗とは言えない・・・・・どころか、そこから私が出てくると
知らない人が、「あら!ここ人が住んでいたのね」と言われるくらい実に古かった。
その時は、特に嫌だな・・・とか思わなかったけど、あとになって考えてみると貴重な体験であり、貧乏育ちとは実にのちのち
人生においてためになるもんだとかえって良かったと思う。
まず、水道がなかった。
井戸である。しかも、そう!今あなたが想像したとおりのよいしょよいしょとコキコキしてふきんの先からジャーと出てくる
ジブリの世界の井戸そのものである。勢いで顔を洗ったりするのでコツがいるのだが、寒ささえ我慢すればそんなに
不便ではない。
そしてガスも通ってなかった。
周りが都市ガスなのになぜかうちだけプロパンガスであった。これも別に火を使う分たいした不便も無かった。
通っていたのは電気と電話だけである。
もちろん風呂など無い。
何でこんなに不便なウチかと言うと、この家はおじいちゃんが作った家であって、大工でも何でもないおじいちゃんが
とりあえずに作った家で、そのとりあえずがなぜか長いこと住む羽目になった。
父は東京の赤坂生まれ。ひぇ〜おぼっちゃまだーと思われるが時代がそんな平和な時代ではない。
あっちに行きこっちに行き、戦争にも行き。父の弟、つまり私の叔父は24歳で特攻隊で戦死している。
フィリピン沖らしいが遺骨も何も無く本だけが1冊贈られてきて、靖国神社に祀られている。
ひそかにフィリピンに不時着して生きているんじゃないかと父によく言うのだが、いないよ・・・とつぶやく。
父は海軍だったので当時鹿児島で空襲に何度も遭い、沖縄への出動待ちで終戦を迎えたらしい・・・
原爆が落ちた広島を見に行き、もう日本はおしまいだと絶望的な気持ちになったと教えてくれた。
父は戦争の話は余り好きではないが、私が歴史好きなのであれこれ根掘り葉掘り聞いてしまう。
母が鹿児島へ旅行に行ったとき、港にぼこぼこ大きな穴が開いていて変なの・・・と私たちに報告したら
父がそれは俺ら(日本海軍)を狙って落ちた爆弾の跡で逃げるのが大変だったと教えてくれた。
話は戻って、そうやって戦争中大所帯の大黒柱が、いないので引越しを繰り返し私の生まれるときは
やっとその不便なうちに決まり、そのうち建て直そうと思っているうちにおじいちゃんはすぐに死んでしまった。
よって小さい頃から18歳まで銭湯通いである。
私の同学年のうち、家庭に風呂の無い家は少なかったが、なぜか仲の良い友達のうちは皆、なかった。貧乏は友を呼ぶ(笑)
幼児、小学生と母親と行っていた銭湯も、中学生となると友人と行っていた。
今みたいにロッカーなどなく、竹篭のまあるい中に着替を入れ一番上にバスタオルをかぶせる。
体を一度洗ってから湯船に入るが、右と左に分かれていて、右は深くて熱く、左は浅くちょうど良い湯加減だ。
そういうのに幼い頃から慣れているから、温泉なども何の不思議も無く楽しめる。
しかし、以前修学旅行で水着を着て風呂に入ると新聞で読んだとき「ゲッ!!」と驚いた。
水着じゃ洗えないジャン!!・・・・・・そう思うのだが。今の若い子は男とは入れても女とは入れないらしい(笑)
銭湯にはいろいろな楽しみが密かにあって、冬至にはゆずがいっぱい袋に入れられてそこら中からいい香りがしたり
近所のお姉さんが赤ちゃんを連れて来ると、そのむちむちした可愛い感触で遊んであげたり、長湯の母だけに私は
自分なりに楽しみを見つけていた。
一番の楽しみは、母がOKしてくれたときに飲めるりんごジュース。
なぜか牛乳瓶に入っていて茶色の透明の、きっと今飲んだらさほどおいしいとは思わないかもしれないが
のぼせた体にあの冷たいりんごジュースがおいしくておいしくて仕方なかった。
番台のおばさんに「りんごジュース飲んでもいいって!!」と嬉しそうに言うと、料金は後払い。
我が家はその銭湯では常連だ!
冷蔵庫からキンキンに冷えたりんごジュースを取り出し、冷蔵庫の横についている針のついた蓋開けで刺して引き上げ
一気に飲む。これがたまらな〜〜〜〜〜くうまかった。
18歳で家が新築されると、内風呂で嬉しいと思ったが、なぜか慣れるまでは怖かった。
シーーンと静かな一人で入る風呂は、18年間おばちゃんのおしゃべりやら赤ちゃんの泣き声やらわいわいがやがやと
それに慣れ親しんでいた私には、ポッチャン・・・・と一人でつかる湯がなぜか寂しい。
しかもでっかい富士山もない(当たり前だが)
今の子はきっと朝シャンなど当然で、気をつけて町を歩いてい見るとずいぶんと銭湯が減ったように思う。
でも、あのほてった体で銭湯を出たときのすがすがしい風の気持ちよさなど、そんな経験の無い人はもったいなぁ〜と思うのだ
今になってどんなに家が貧乏であったか、もう内風呂が当たり前の頃に銭湯に行っていたのだから
皆友人が、行ったことが無いと聞き、げげげっ!と生い立ちをしみじみ感じることもあるが
私も兄もおもちゃや漫画をあまり欲しがる性格ではないし、外で遊ぶのが好きだったから親の苦悩も気付かなかった。
兄妹で私立高校に行ったときは大変だったろうなぁ〜(パラパラで決めてごめんね)
最近、友人の間で占いが流行り、そこに出てきた性格がまさに突付かれたくないようなどんぴしゃで書かれていた。
あんまり占いは信じる方ではないけれど、自分の性格について「人が思う自分」と「自分が思う本当の自分」のギャップに
悩むときもある。本当の気持ちとは中々語れないもので、悩みが山ほどある私でも相談しているようで相談していない。
つまり本当にどうしよもなく辛いことは心の箱に閉まってしまい、逆に相談されることの方が多い。
いやらしい秘密主義(笑)
隠したいのではなくて、弱虫で言えないのだ。
本当に辛いことは総理大臣に言ってもどうにもならないことなのだ。
だからと言って、仕方の無いことは言わない・・・そんな合理主義でも強靭の精神の持ち主でもない。
子供の頃、私も兄も貧乏が理由で苛められた事がよくあった。
私はいつも同じ服を着ている(母が作った服だ)とよく言われ、クラスの女子に代わる代わるボールをぶつけられたことがある。
みんなでその時流行っていたシール集めのシールを買いに行くのに参加できなくて
しばらくクラスの女子は誰も口を聞いてくれなかった。
その中に親友だったクッコという子が入っていたのが胸にチクッと痛みがあるだけで
私も兄も決して親には言わなかった。もちろん先生にも・・・
子供ながらにして、そんなことで苛められていると言う事が親に知れては可哀想・・・本当にいい子ぶりっ子だが
そう思っていた。
父も働いて母も内職をし、結婚前の伯母たちが一緒に住んでいた大所帯だから子供ながらに貧乏はわかっていた。
そしてその収入はおばあさまにいき、食費として母に渡されるが私はいつも母におかわりしないよう言われた。
そしてあとでこっそりおいなりさんとか食べさせてくれたのだ。
そういうことが人生のトラウマになったりしていることは全く無いと断言できる!
私はそれに変わる親の愛情や兄妹の関係など十分に一心に浴びていたと思う。
それにそんなことで傷ついて大人になるような玉ではなかった(笑)
中学生になり思春期の頃、生意気盛りで口は達者だし、泣かせることがあっても泣きはしなかった。
完全に立場が逆転し、どちらかというと苛めっ子たちはじめじめした大人しい目立たない子となり
喧嘩しても口喧嘩で負けたことは無かった。
だいたい、そういうやつらはグループにならないと何も言えないし、何も出来ない。
一緒におトイレ行こうよ〜そういうネチネチした関係が幼い頃から大嫌い。
パートナーや友達に本当は気持ちをわかってと心からそう思うのだけど、
気持ちに寄り添って、辛いねという気持ちを理解するただそれだけでいいのだ。
でも、本当はそれが一番難しく、それはきっと不可能だと思う
だから弱虫の私は、そこで傷つく言葉を聞きたくない。そして私も人を傷つけてしまうこともある。
事は後の祭りで自分もまた深く傷つく。
傷つけたくなくて・・・傷つきたくなくて・・・その人が私のために言ってくれた言葉なのに「そうだね。ありがとう」と
そうじゃないの・・と心が叫んでいてもニッコリしてしまうええかっこしいの自分もいる。
わかりっこない!と確かに変な頑固なところもある。私の周りに私以上な苦労人は少ない・・・・というか、いない!!
だから、つい自分の心の奥の引き出しにみーーんな閉まってしまう。
私は家庭事情・健康事情・生き方そのものにも沢山の引き出しを抱えている。
たぶん自分ではもう持ちきれないから、開けてもいないのにとうとう悲鳴を上げて勝手に出てきちゃうのかな〜なんて
すっかり外でバリバリ仕事してた自分とは違ってしまい弱くもなった。
その時の、そして今も尊敬しているM支配人。
仕事を一から叩き上げてくれた人。
生意気盛りでまるでハリセンボンのようにトゲトゲしていた私を仕事が何たるかを教えてくれた恩人。
特に私には厳しかった。責務のある役職の仕事、面接、人を育てるということ、育っていない私を鬼のようにしごかれた。
私の特別な事情も社長同様みんなにはふせて、だからと言って特別扱いせず山のような課題を与えてくれた。
私は人前で泣くのが大ッ嫌いだから、どんなに辛くても職場で泣いたことは一度も無い。
同情されるのも、こんなにも辛いのよとその時に訴えることも死ぬほど嫌い。
同期で女性の主任はいないから、なめられてたまるかといつでも鎧に身を固めてきた気がする(笑)
苦労して目標に達成できたときも、苦労した顔をするのが大嫌い!涼しい顔して影でゼイゼイしてた(笑)
他人に叱られた事は、私の世代は普通であった。
近所のおばさんも先生の体罰もあったし、親子であろうと他人であろうと悪いことをすれば
誰の子供でも叱られた時代だ。
しかし、今の子は違う。親でさえ叱るべきどころで叱られないで育っている。
そしてそんなのが先生になる。
初めてバイトして私に叱られ、まさに逆切れで相当なやんちゃもヤンキーも育てなければいけない。
生半可の計算でなんて当時の私はできずに、真剣にぶつかりそいつがわかるまでとことんやりあった。
若かったのは、それが部下だけでなく上司にも突っかかる長いものに巻かれない自分がいた。
一度だけM支配人と意見が衝突し、絶対に譲らないと心を決めて
辞表を叩き付けて「人を切るとき返り血浴びる覚悟は出来ています!」と言ったとき悔しくて涙が出て
非常に驚かせてしまった。
あとからM支配人は「お前が女だということを今まで忘れていたよ」と苦笑い。よほど悔しかったんだなぁ〜と
思い出話になったこともある。
そんな私をM支配人は、お辞めになるときこういった。
「お前を見ていると胸がつぶさる時がある。向かい風に全力で走っているようで馬鹿だなぁ〜と思う時もある。
それがお前のいいところでもあり悪いところでもあるんだから、たまには風が止んでから歩いたっていいんだぞ。」と
それでも笑顔で「はい、はい、はい!」とふざけたふりをしていた。
かといって家で一人でよく泣いているわけでもない。
うまくいえないけど・・・感情が何だか麻痺したようでそうでないと頑張れなかった自分がいて
今でも子供の頃のように返りたいのは、無邪気な喜怒哀楽をどっかに置いてきちゃったような気がしてならない。
最近読んだ本にすごい衝撃を受けた。ひとつは精神科医・伊波先生の書き下ろしで「不完全だっていいじゃないか」
そして何気なく読みたくなった高倉健のエッセイ「あなたに褒められたくて」
そこにこんな文章があった。
人が人を傷つけるとき
自分が一番大事に想う人を、いや、むしろ
とっても大切な人をこそ
深く傷つけてきたような気がする。
この人はかけがえの無い人なんだ、
もうこんな人には二度とは会えないぞ
と想う様な人に限って、深く傷つけるんですねえ。
傷つけたことで自分も傷つけてしまう。
そしていつのころからか、本当にいい人、のめりこんでいきそうな人
本当に大事な人だと想う人からは、できるだけ遠ざかって
キラキラしている思いだけをずっと持っていたいと考えるようになっていますね。
卑怯なんですかね。
いかにも高倉健という人柄の優しさと不器用さが入り混じったエッセイだが、何だかとってもわかるような気がした。
子供の頃のように取っ組み合いして、寝てしまえばケロッとしている時とは違い、
大人になればなるほど心の傷は根深く治りにくい。
まだまだ友達やパートナーと喧嘩して言い争ったり、罵倒しあうのは若い証拠。
誰でも自分が一番大事だし、自分の大事なものからもちろん守っていく。
人との争いの中から、いつのまにか、本当の気持ちも本当の言葉も口数が少なくなっていく。
そうなるのが怖くて気楽な方を選んでしまう。言い訳でも本当のことでも何でもわかってもらえるまで努力するのを
すぐやめてしまうのだ・・・・。聞きたいことも、それは違うよ!あなたがいけないよって言ってあげたいことも、
あんなに真剣に若い部下の子と朝まで語り合えたのに、人間の怖さを知るとこの人のいい所だけ閉まっておきたくなる。
キラキラした思い出だけをタイムカプセルに入れて老後の楽しみにするのは、やっぱり卑怯なのかなぁ・・・・
卑怯であり臆病者の弱虫だ。自分の悪いところもよく分かる。
人は自分の悪いところより人の悪いところが許せない。いくら謝っても開き直っても兄妹喧嘩のようにはいかない。
大人になればなるほど、喧嘩も不器用になったようだ。
本当の言葉をぐっと飲み込み、一人で物思いにふける。
本当はこうなのに・・・・そうじゃないのに・・・・
人間が人間を理解する、夫婦でさえ時にわからないだろうに、まして全くの他人であればなおさらである。
人を傷つける失敗もまたするだろう。傷つけることもあるだろう。
若い頃は自分の気持ちをストレートにぶつけストレートにぶつけられ、泣いて笑って繰り返す。
今はどんどん臆病になり、本当の気持ちなど言葉に出来なくなってしまった自分がいて
年を重ねるたび私もこの本のような気持ちに近づいていっているのがわかる。
相談することもなくなって、他愛の無い愚痴だけが唯一の気持ちの端切れで、見かけには元気一杯の変わりの無い自分。
同じ日本人同士がそうなんだから、中国と日本が分かり合えないのは仕方が無い。
公式に21回謝っても、向こうには何にも伝わらないのだろう。
この2冊の本で、いかに人間は弱くてもろくて、でも何度も立ち上がろうとする強さもある。
完全な人なんていない。
そしてその悲哀の中に、いかに生い立ちと親の愛情が必要であったか胸が痛くなった。
前の項に書いたように綺麗な新築な家より、あのオンボロの汚い家が好きだった。
別に金持ちにあこがれたりもしないし、初めてできたボーイフレンドの母親に
「あんな汚い家に住んでいる子とは付き合うな」と言われたけど(お母様はクリスチャンらしいが)
このよさがわからないなんて・・・と特に傷つきもしなかった。
きっと家なんて形だけで、愛情一杯に育ったのが私の一番の幸せなんだろうなぁ〜とつくづく思う。
両親・兄・祖母と幼少期は、さびしいなんて一度も思ったことが無かった。
犬も猫もぴーちゃんもペンキがはみ出した赤い自転車も幸せそのものだった。
人間不完全だっていいじゃないか。
そう、私も立派なポンコツだ。卑怯で秘密主義のどうしょうもないポンコツだ。
きっと・・・これからどんどん老いていくごとに、こんなポンコツでも良いかという友人だけしか付き合えないように思う。
私は人並み以上に完全な善人でいたいと願う人間だった。
生きていればいろいろあるさ、人間不完全だっていいじゃないか。そう開き直って老いていく。
思い出だけは、キラキラ本当に夏の海のように輝いてる。
こうして卑怯な秘密主義は、このHPによって本当は何か伝えたいのかもしれないが
自分の心を暴露するのは何だかパンツを脱ぐより恥ずかしい。
きっと勇気を出して作ったこのHPがいつか自分の総決算かもしれない。
エッセイやノンフィクションを書きたいと思ったことがあるが、結局は自分をさらけだすことだから
とても勇気がいる。目立つことが嫌いだし、ソーーッと生きていきたい私は、やっぱりここまでが限界かな?
幼稚な文才で、思い切りが無く、あー印税生活も夢のまた夢だな〜まず無理だろう。
私は仕事の経験上、男女年齢問わず多くの友人がいる。
親友もいれば、マブダチもいる。知人もいれば知り合いもいる。後輩もいれば先輩もいる。
様々な付き合いの友人がいてその性格もまさに十人十色。
共通しているのは生きがいや目標を持っていること。
私もパンツを脱ぐ決意が出来たら、何か応募でもして手厳しく打たれよう!
お花のコンテストなどの応募も考えているが、そっちの落選の方がショックだったりして・・・
そう・・・私の最大の欠点は、秀でるものがなしの器用貧乏。
そこそこ何でもできるけど、これぞという才能と自信が何も無い。
まさにそれぞれ99%の努力が必要なのだ。
よくあなたの座右の銘は何ですか?と聞かれると、まず浮かぶのは
「ド根性」
根性ではなくドがつかないとだめ。カエルはつけない(笑)
ま、人生80年。何か一つでも満足できる作品が作れたら良しとして頑張ろう!
そうそう、自分の葬式についても私は以前から決めている。
家族には一切誰にも知らせるなと言ってある。
通夜も葬式も戒名もいらない。49日ごろにでも知らせて骨はどこでもいい。
海でも山でも散骨して欲しい。「そんなことできない」という家族とこの話になると衝突するのだが
死んで立派な葬式されてもちっとも嬉しくないし、墓に入るのは暗くて怖いから嫌(そんなことも感じないと思うけど)
ドリフのコントみたいな白装束は絶対やめて。もっとファッショナブルに行こうよ。
菊の花も嫌。
こんなにお花の仕事してたんだもん、絶対菊は入れるなよ!と言ってある。
「あれ?死んじゃったんだっけ?」そうそう、そんなんでいいんだ。
いつまでも忘れないでなんて思わない。
別れを惜しんで泣かれるのもいらない。
嫌いなやつがいけしゃあしゃあと涙ながらに来られても腹が立つし、そんな性格の悪さも手伝って出来る限り
静かにおとなしくバイバイしたいものだ。
絶対に来て欲しくない人、生涯で実は3人いる(爆笑)多いのかな?
でもきっとそういうやつに限って家族の中で最後まで生き残り、希望通りに行かない様な気もする。
大病は沢山したけれど、「あと少し遅れていれば危なかった」とか「あと数センチあたりどころが悪ければ命が無かった」とか
運がいいんだか悪いんだかわかんないような病気や怪我が多く、入院回数も手術回数も人より多い。
痛い思いは色々してきたが、死ぬときくらいは眠るように穏やかにできないだろうか・・・
ま、万人のそれは希望ですよね。オランダの安楽死、大賛成。
いわゆる尊厳死。はい、私も助からないなら延命治療はしたくない。
やり残したこと?うーーん、結構色んな体験してきたからこれだけはやっておきたかった・・・と惜しむものはないなぁ〜
でも最後の晩餐は、母親がにぎった丸い半生のたらこのおにぎりと玉子焼きにきゅうりとなすの漬物。
そんなの食べたいかなぁ〜
こんな時でも母親の食べ物だからまだ甘ったれ何だろうなぁ。
父親は車椅子生活だが、よく小さい頃自転車のうしろに乗ってどこにでも連れて行ってくれた。
大人になるのはもったいない。
しあわせとは、お金でもなく名声でもなく、本当に些細な平凡の日常でも愛情に包まれおなかの底から笑うこと。
いつもふざけるのが好きで茶の間でコロッと寝てしまう私を父が抱きかかえて布団に寝かせてくれた。
今は逆になって父をベッドに連れて行く。
こんなことなら、もっと高い高いをしてもらえばよかった。
もうこんなババアになってこんなバディになって誰もできないと思うけど(笑)
遺言なんて財産もないしそんな大袈裟な事と思うけど、結構私は、自分のこの葬儀に関しては
頑としてこうして欲しいという思いが強い。
棺おけも安いのでいい。焼いてしまえば同じだもん。
あ、写真も指定しなくちゃね。
一番写りのいいやつは大切にしなくちゃね(笑)
ブスな写真使ったら恨んで化けて出てやる(爆笑)
でも、私の生命線。
残念ながら手首まであるのだー。あーやれやれ・・・
悪臭がして老人の一人暮らしで誰にも発見されず白骨化の記事が目に浮かぶ。
ま、それもいいか。
その分私は小さい頃、本当に幸せだったもん。
そう思えることが最近しみじみ嬉しいと思えるのだ。
車椅子の父を母が押す後姿にひやかしの言葉を浴びせて大きな声で「ばいば〜〜い!」
ニヤッと笑う父。大きな背中の母(爆笑)
二人の製造物のアタシ。
ポンコツでも何とか頑張るわー。

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その8もあるぜ〜