人間の欲望
飛びて〜よ〜 
人間の欲望はまさに無限と言っていいものだが、私は長者番付に乗るような金持ちになって遺産相続で殺されるのも嫌だし
芸能人になって気軽にラーメンと餃子を食べれないのも嫌だし、今さら大恋愛するのもめんどくさいし、そんなに語るような夢も
無い。小さい頃からそんなんだから努力を怠る「ま、いいっか」で済ませてしまう凡人なので結構流れに身をまかせてしまう。
頭も悪いし、深く考えるのはおっくうで発明などとんでもない!
りんごが落ちる万有引力など「だから、それがどーしたの」と思う罰当たり女。
・・・・っていうかりんごが落ちるのを見て、そんな発見をする人間と落ちたから食べようとする人間に分けるとしたら絶対後者だ。
上のイラストのように空を飛んでみたいのは、青空を思い切り羽を広げてなどとそんなロマンティックな夢じゃなく、
歩くのがめんどくさいから(笑)だから翼ではなくタケコプターでもかまわない。
どこでもドアが本当は一番欲しい。恥ずかしくあの大きなドアを持ち歩いても構わないから(笑)
しかし、実際どらえもんはいないのだから、どこにでも行ける訳がなく、行くには二本の足と渡航費がいる。
私は小さい頃から本を読むのが好きだったが、昔は小説から詩まで何でも読んだ。
歴史物も大好きで坂本竜馬や風林火山など、かなりはまってその時代の武将たちを調べたり・・・
徳川の将軍たちにも一時はまった。
しかし、今はほとんどノンフィクションの事件物や死刑囚に関すること、かなり生々しい心が苦しくなるものを好んで読む。
北朝鮮関係の本はほとんど読み、今現在騒がれてる前から相当の数の日本人が拉致されているのではないかと
それに対して何もしない政府が不思議でならなかった。
あんな若いときに拉致をされて苦しい思いをしている横田めぐみさん。
私がこのことに興味を持つきっかけとなった、金賢姫(飛行機爆破事件の犯人)の告白本に登場するリウネという日本人。
お子さんに会いたいと泣いていたと言う。
できることならそんな彼女たちに翼をあげたい。
小泉総理が嫌いなわけではない。でも法案も大事なんだろうけど、今ここに命がどうなるかわからない、そして確信を持って
拉致と言うテロを行われた国に対して、もう対話など終わったもいい時期だろう。
経済制裁をしたくないのなら迎えに行って、取り戻すまで帰ってこない。それでこそ日本のリーダーシップと言えると思う。
胸の詰まる事件は本当に多い。
栃木のリンチ殺人事件。途中であまりに可哀想で何度も本を閉じてしまった。
ご両親の素朴な本当に警察を信じて助けを求めた、誰もがきっとそうしただろうに、その結果と言っていいぐらいの悲惨な結果。
お母様は、夢遊病のように息子さんを探している行動を何度もしたそうだ。そして心労が重なったのだろう。
亡くなった・・・・・。
犯人たちのリンチは残酷極まる行為で人間とは思えないまさに鬼畜の行動だ。
自分たちの快楽のために金を借りさせ、ばれそうになると殺す。犯人グループの一人に父親が警察官だっため身内同士のかばい遭いがなかったか、一生自問自答して欲しいと思うし、成人しているとはいえどういう子育てをしたのか首をひねりたくなる。
彼にも翼をあげたかった・・・・熱かったろうに、痛かったろうに、飛べることができるならそんな地獄から逃げることができただろう。
日本の裁判は不思議なもので、民事裁判も損害賠償や慰謝料として請求する。
その計算方式に以前、無性に腹が立ったことがある。働き盛りの男ならいくら、女ならいくら、老人ならいくら
そして障害児に対してとても低い賠償金で問題になった。
計算方式の考え方は、その人間が生きていくうちに稼ぎ出す金額を想定して換算されるという。
でも、命ってそんなものだろうか?
1円だろうと1億だろうと、本当の遺族はお金なんて目的ではない。本当の事実を知らしめたい。
この事件をうやむやにしたくない。犬死のような扱いされたくない一心で法にすがるのではないか。
本当に欲しいものはお金ではなく、生きて返せ!お前も同じような思いをしてみろ!その一念ではないか。
そこに追い討ちをかけるような命の値段。子供も大人も、女も男も、障害者も健常者も、命の値段なんて決められない。
そのくらい尊く神聖な命。本当に欲しいものはお金では買えない。
絶対にそういう悲惨な事件の数々を私たちは忘れてはいけないと思う。被害者の気持ちは何通りもあるだろう。
でも皆同じように口にするのは「あの時から時間が止まった」
今はまだここに書ける状況ではないが、私にも同じような時間が止まっている事がある。
法律の被害者支援法の成立は当然であり、それが少年であろうとなかろうとまず被害者の家族を守るのが先であり、支援金も
被害者側に出るのが当然だ。少年や少女が大事件を犯した時も更生も必要だが、その事件を未然には防げなかったのか議論して
もらいたい。病的な部分に気付いていれば、病院に連れて行く義務もある。命の尊さは、教えなくても覚えるものか否か・・・
基本的には、同じ事をされたら嫌じゃないか?という気持ちから始まるものではないかと思う。
そして親なら許される事など考えず、半殺しにされても何をされても土下座をしても即刻謝罪に行くべきである。
どうしたって逃げる事はできないのだから。
今は、あいだみつをさんなどカレンダーなどでブームであり、私も悪くない言葉であり文字にも力強さを感じるだけど
思春期の時、なぜかこのポピュラーな詩を読み涙が止まらなかった。人間の弱さとこうでありたいという願いの葛藤の中書かれた
作品で、なぜか私は強烈に悲しかった。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
私の子供の頃の写真は、白黒とカラー写真が入り混じっている。冷蔵庫だけがあったが確かテレビと洗濯機はまだだった。
その冷蔵庫も氷屋さんというものがいて、大きな四角氷をそこにいれキュツと閉める棚のようなものが我が家で言う冷蔵庫であった。洗濯機が来た時は、洗濯小屋なるものまで庭におっ建てて(・・・・というか家に置くところが無かった)もちろん二層式ではない。ええええっ!!と驚く人も多いが一度洗うとコキコキまわす洋服をその間に入れて絞る棒状のもので水分を取る。
そして、一度水を抜き、水洗いですすぐのである。そのコキコキは大きいものは絞れないから平均に洋服を平らにしなければいけなくて当事は画期的な電化製品だったのかもしれないが、ちと今考えると可笑しい(笑)
何年かして、今のような形の二層式を購入した。
テレビももちろん白黒である。しかし町内でいち早く買ったため。なぜだかプロレスとか野球とか相撲とかいつも近所の人が見に来てた。記憶にある大鵬という相撲取り。皆でワーワー言いながら応援していて、おばあちゃんが興奮するので心配だった。
テレビは室内アンテナなので時々、ヘリコプターなんか通ると砂嵐になる時があった。
バン!!と叩くと直ったり、テレビは何よりも家庭で人気者になった。・・・・・・が、ある時。
普段、おばあちゃんや他の人がいると見たいものが見れないので、母と私だけの時、今がチャンスとばかりテレビに夢中になっていた。するとまた砂嵐・・・室内アンテナを色んな方向にして調節してみてもまるで反応が無し、叩いてみようか・・・と近づいた時、
なんと「バーーン!!」火花と共に何かの爆音。テレビの後ろからもくもくと煙が出てきた。
「うぎゃあぁぁあああぁ〜〜〜〜〜!!!」私と母は裸足で電気屋まで逃げていった。
今のように大型電気店など無い時代。近くの電気屋さんは喜んで修理に来てくれた。結局、それはどうにも駄目でカラーにほとんどが移り変わる頃だったので思い切って父がカラーテレビを買ってくれた。新聞にもまだ、カラーと書いてあるのがカラー番組。
まだまだ白黒番組も多かった。父は何か電化製品が壊れると必ずそこの電気屋さんで修理をしてもらっていた。
それは、ついこの間まで電気屋さんは修理もしてくれると疑わなかったのである。
まだ、一人で歩ける時に、ある電化製品を持って行きいつものように修理をお願いした。もちろん今までも修理代は払ってきたし
買う方が安いですよと言われれば、そうしてきたのだが、その電気屋さんのご主人が「もう、ここで買ったもの以外修理に来ないでくれ」と言われたそうだ。
こんなにも大型電気店が出来れば生き抜いていくのも大変だろう。
でも何故だかすごく寂しくなった。皆で電気屋さんの前で見た相撲の決勝戦。何丁目の何々と言えば軽トラックで直ぐ来てくれた。何だか父も寂しそうで、私も母も言葉に詰まってしまった。
昭和には力があったし人情もあった。メールで約束なんて今のようなデートは出来ないから本当に大変だ。
待ち合わせても何分も待つこともしばしば。今時の子・・なんてババ臭く説教するつもりもないが、昭和って懐かしい。
携帯なんて無いから男の子からかかってくる電話は、父に見事に切られてしまう。コードレスじゃないから家中に聞こえてしまう。扇風機の隙間はもっと大きく本当に指を入れると痛そうだった。でも私たち兄妹はよく飽きもせず「ワレワレハ・・・」などと宇宙人声して遊んでいた。不便だったけど、ひとつひとつが有難かった。ひとつひとつが懐かしかった。
父も母も祖母も元気で私ものほほんとこんな日が来るとも知らず、何でも拾ってきたあの頃。
できることなら帰りたいな・・・・・なーーんちゃって。
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その9もあるぜ〜