ゆかいな親類たち

  私には実に多くの親類がいる。
いまだに会った事の無い従兄弟やらその子供やら全国に散らばっている私の血のつながったいわゆる親類という人たち。
従姉妹も数がわからないほど実際に人数を把握していないし、ここまで多いとよく付き合う親類と何かの時に会う親類。
あまりに遠くて会った事の無い人とわかれてしまう。
なぜこんなに多いのかというと理由は簡単で、父が10人兄弟の長男。母は8人姉妹の末っ子と兄弟の多い二人の子供だからだ。
しかし、父方の親戚は戦争で亡くなったり、母方はもちろん末っ子の娘だから従姉妹はみーーんなお姉さんだ。
沢山いる親類の中で一番楽しい思い出があるのは、従姉妹の中でも唯一同じ年の父の弟の3番目の女の子。Jちゃん。
同じ年ということもあるが、お互い末っ子でどちらかというと可愛がってもらうのではなく、おまめ二人が・・・という目で
あまり兄たちには相手にされなかった。
私はJちゃんと遊べる夏休みが待ち遠しくて待ち遠しくてたまらなかった。
我が家に泊まりに来るときは、決まって夏祭りの時。二人で大好きなおままごとセットを買ったり、塗り絵をしたり
何を話してものんびりした気性が合うのか、笑いっぱなし。それはそれは楽しくて仕方なかった。
Jちゃんの家に泊まりに行くときは向こうが夏祭りのとき。Jちゃんは京王線の今は無い米軍キャンプ地の近くだった。
その頃に流行っていた「明星」少しおしゃまになるとあこがれるアイドルたち。
一緒にアイドルの歌を歌い、浅田美代子やキャンディーズのプロマイドが欲しくて、よくおこづかいを持って駄菓子やに
行った。一枚いくらか忘れたが可愛いアイドルのプロマイドが欲しいのに、外れると藤正樹になってしまう。
みなさん、知っているかなぁ〜(年がばれてしまうけど)学生服着た歌手で何を歌っていたかも覚えていないのだけど。
はずれの藤正樹が出ると悲しいのになぜかゲラゲラ大笑いになって、帰りは二人で大きな声で歌を歌って家まで帰った。

こんなにも気が合う従姉妹っているのかなぁーって思うほど、一緒にいていつも楽しくてたまらなかったし
年頃になってなかなか会えなくなっても文通はかかさずしていた。
そして、結婚したのも同じ。子供を産んだのも同じ年の男の子。
私は次はなっちゃんで苦労の連続だったがJちゃんは次こそ次こそと男の子を産み、嫁いだ場所が遠いところだったので
どうしても疎遠になってしまう。
けれど、子供の頃の思い出にはどうしてもかかせない人物で、本当に何も辛い事も無い私の一番楽しい思い出だ。
先日、一通の手紙がきた。懐かしい字、Jちゃんだ。私のホームページを見てくれてとても感動してくれた。
変らぬ性格のお人よしでのんびりやさんのJちゃん。
遠い親戚より近くの他人というが、私にとってJちゃんは親類の中で一番幸せなくったくのない笑顔を知っている
数少ない親友イコール従姉妹だ。Jちゃんだけは、遠くない大切な親類、近くにいてくれればもっといいという存在。
二人とも子育てが一段落(私はまだだけど)、あれから何十年もたったけど、会いたいなぁ〜
そしてあの時のように涙流してゲラゲラ笑い転げたい。


親類というより、両親。それもいわゆる舅と姑。
世間で言うもめごとであるとか、仲の悪さとか、虐めとか・・・・そういうことは一切無い!!
無い・・・というより、出来の悪い若い嫁であったのだから、本当は色々思うところがあったのかもしれないが
全てを受け止めてくれる器の大きい両親だ。姑は天然の明るさと主人にそっくりなのんびりした母で、毎回訪ねる度に
笑わせてくれる(※笑わせようとしているのではなく、あくまで天然さが魅力)
なっちゃんを連れて行くと、仏壇嵐の名を欲しいがままにしているなっちゃんは仏壇の物色に入る。
お供えの朝のごはんやお茶はあっという間に胃の中に・・・・・
ひええぇぇ〜〜〜罰当たりもんだが我が家に仏壇が無いので、たぶん食料の貯蔵庫と思っているのだろうか?
お年玉など「はい、なっちゃん(o^−^o)」と袋に入れて毎年、綺麗なお年玉袋に名前入りで用意してくださるのだが
なっちゃんはお金に興味が無い(お金の概念が理解してないのだ)
やつは嫁の心も知らずに、けっ!食べ物じゃないのかよーとその場でぽいっと捨ててしまう。
それを「あ・あははは・・・ありがとうございます!!」と私がはいつくばって拾うのだ。
食べるのが好きななっちゃんの為に、食べきれないくらいの量のごちそうをいつも作ってごちそうしてくれる。
姑は本当に天然なので、自閉症は治らないと説明しても「絶対にいつか良くなる!!」と今でも私にそう強く言う。
旅行好きな両親は行く先々の神社などで、いつもなっちゃんの健康を祈ってくれるのだ。ありがたや〜

舅は一言で言うと頑固ジジイっぽい(笑)身内ながら言うのも変だけど、長嶋茂雄に良く似ていてハンサムである。
昔、麻酔なしで歯を抜き「痛い」と言わなかったら治療代をタダにしてやると言われ本当に最後まで言わなかった素晴らしい頑固ジジイ。
趣味が私と同じ園芸なので、毎年色んな苗を貰う。
そうそう結婚したての頃、ひょうたんを作っていて、あまりの豊作にひょうたんがたくさんぶらさがった自作ののれんを貰った時、そして大きなひょうたんに金と銀のペンキを塗った飾り物を貰った時、すんごい迷惑だった(爆笑)
でも、そういうお茶目な所が可笑しくて、目の悪い私が盆栽に綺麗な黄色の花が一杯ついているので、
「きゃあ〜お父さん、すっごい!よくこんなに咲かせましたね〜」と言ってよく見ると、全部刺身についてる菊だった。
毎回、行くたびにネタを用意しているようで、笑い上戸の私は可笑しくて可笑しくてヒーヒー言っていた。
シクラメンは宿根草でもまた綺麗に咲かせるのが難しい。いつも競争して私がいくつ咲いたと報告し、私が勝った時は
おもしろおかしくお父さんをからかう。なーーんだ、もっとお父さんすごいのかと思ったとか爆笑すると、ニヤーーと
笑う顔がまた渋い。
チョロギという植物をご存知だろうか? お正月の黒豆に入っている赤い着色したうんこみたいなやつ。
私は小さい頃からあのチョロギがおせちの中で一番好きだった。ちっとしか入っていないからいつもすぐ食べ終わってしまう。
お父さんは、チョロギ作りの名人で毎年必ず私にチョロギの苗を用意してくれて引越しをし園芸友達ができたと話すとその人の分まで用意してくれた。
最初の年は、収穫ゼロ。またアドバイスを聞いて年々収穫率がUPしてくるのだが、料理ベタの私はお酢加減の悪い味気のないチョロギになる。そこで色々教えてくれるのがお母さん。「寿司飯の元でいいのよ」と私の料理ベタを見越しての気遣いの天然さ。たまらーーん(o^−^o)

舅はまた、孫の事もよく可愛がってくれる。
おれおれ詐欺が両親の家にも電話があったのだ。オートバイを乗り回していたら車をぶつけて弁償しなければいけない。
50万ほどかかるけど、お父さんに言ったら殴られるから絶対に内緒にしていてね、おじいちゃん!!
また電話するから・・・と言って電話は切られたらしい。
だいたい我が家の長男は昔からワンパクという名にはほど遠い性格で、亀を飼っていて死んだら大泣きをし、
自転車が乗れたのもとても遅く、友達とでかけるというと自分だけ走って遊び場まで行っていた。
オートバイどころか車の免許も「たぶん向いていない」と取る気もないようで、でも家族一同納得してしまう子なのだ。
しかし、舅はずーーーっと黙っていた。
お父さんに殴られる。そう息子の性格もわかっているようで、こちらはワンパクの名をほしいがままにしている夫だ。
何とか孫をかばってあげようとしたらしい。
正月、夫がトイレに入ったすきにこっそり長男に「バイクの件、どうなった?大丈夫なのか?」と切り出した。
もちろん長男は?????。何それ?
そこで大笑いで終わったから良かったものの、本当に騙されるところだった。
人の心を利用する本当に許せない悪質な犯罪だ。
でも、この話には続きがあって、こういう犯罪は怖いという話をしてしばらくして、夫が姑に電話した。
夫の電話の癖は「俺だけどさ」(笑)
天然のお母さんはひどく警戒し「俺って誰ですか?」、また天然の夫も「俺だよ、俺」なんという悪循環。
「息子の声も忘れたのかよ」(ここらで口の悪い製造物に気付いてもいいようだが、お母さんはあくまで天然だ)
結局、誕生日だとか、いろんなことを話してそれでも疑心暗鬼のお母さんとへんちくりんな会話になったという(笑)

なっちゃんが交通事故にあった時も両親は真っ先に駆けつけ、もうショック状態の私がフラフラしている体を押さえ当事
ガリガリになっていたので、こっそりあとで夫に心配して何とかしなきゃ駄目だと言ってくれたそうである。
頑固じじいはすごく優しい男前のじじいじゃ。

定年後はみどりのおじさんをして、子供たちの安全を守った。猛暑の日は何度熱中症で家で倒れたかわからない。
いつもポカリスエットをぶらさげて、自転車で学校の登下校にあわせて通っていた。
時給も地区によって違うが、本当に僅かしか貰っていなかった。
姑が脳梗塞を2回患ったので、お父さんは近場で出来る事をと思ったのだと思う。
買い物も週末に一緒に行く、仲の良い両親だ。二人とも同じO型で・・・というか皆O型なんだけど、8月生まれも同じ、
ちなみに私も同じ。だいたい夫の愚痴というか悪口は製造元の二人に言いつける(笑)
私の実の両親も仲が良いが、その上をいってるような夫婦でお見合い結婚だけれど、確かに赤い糸で結ばれていたんだなと思う両親。
いつまでも仲良く、そして出来の悪い嫁・・・いや娘もよろしくお願いしまーーーす!!


 私は兄と二人兄妹だが、母方の従兄弟があまりに多く母の田舎・福島の海側で高校を卒業すると入れ替わり立ち代り
東京の大学や専門学校に通うために、沢山の従兄弟が我が家で暮らし始めた。
だから小さい頃から二人兄妹という感覚より、何だかわかんないけど大勢の家族で暮らしてたのだ。
いつも必ずいとこがいて、たぶん普通で言う親類という感覚より、より近い感情が一緒に暮らした年数が多いほど
お互いにあると思う。なので私は東京生まれ東京育ちでありながら、福島へ行くと福島弁になってしまう。
福島県と言っても、会津とか郡山とかじゃなく、原発のある双葉郡という田舎町だ。
今でこそコンビニが一軒できたけど、昔は農協というスーパーみたいなところで買い物をし、
何でも屋さんみたいな乾物屋、洋品店という名のベビー服から農作業のもんぺまで売る店。
どうしてもそこにないものは当時は「平」という急行の止まる駅まで行き買い物に行った。今はたしか「いわき」かな?娯楽・・・・・・うーーーん。。。。。。無い!!
ま、私は子供だったので、ざりがに釣りとかどじょうをつかんだり、海で遊んだり、隣にも親類の家にも牛がいた。
こういうことは、東京生まれを<( ̄^ ̄)>自慢しているようだが、かえって珍しく楽しくて仕方が無いのだ。
そして母が迎えの車の帰りなどに連れていってくれる最高のレジャー施設。

常磐ハワイアンセンター!!(o゚▽゚)oニパッ

今はスパリゾートハワイアンズというのだが、小さい頃はハワイと言えば、ワイキキのビキニ姉ちゃんではなくて
あの常磐ハワイアンセンターに行く事が楽しみで仕方なかった。
昔はもっとショーのようなものを沢山やって、必ず綺麗なお姉さんがフラダンスをするのだ。
そこにはムームーというハイビスカス模様の洋服やすごーーく欲しかったお花のレイなども売っていた。
(母は自分が家で着るムームーは買ったのに、とうとうレイは買ってくれなかったことを今でも覚えている・・・・・)
何だか本当にレジャー施設に来たのだなというカンジがして楽しくて仕方なかった。
小さくてよく覚えていないけど、バーブ佐竹という人の歌のショーを見たり(これが二度目の芸能人目撃談)
今、思い出しても昭和の匂いがぷんぷんで唇が紫になるまで浮き輪につかまってプールから出ないと言い張っていた事を思い出す。

そして大人になりスパリゾートになったかどうかよく覚えていないけど、母と行ったハワイアン。
お風呂がものすごいことになっていて、迷子になりそうなシロモノに変身。
私はテレビ付きのサウナに入っていた。
そこには通常の時間帯にはやっていないはずのニュースが生放送で次々と速報を伝えている緊迫状態だった。
「地下鉄サリン事件」
ものすごい衝撃だった。
実は母はその時まだ働いていて、地下鉄東西線で通勤していたのである。
もし休みを取って会社に行っていたら・・・・・熱いサウナの汗も不気味な汗に変った。
大袈裟に言うと、東北の大リゾートが母の命を救ったのだ!! あーハワイアンセンターが好きで良かったと思った。
でも、その中には普段乗らなくてもいいはずの人が乗っていたり、助けようとした地下鉄の人々。
いまだ多くの人の心の傷として残っている。
普通でないのは何となくわかるけど、なぜ死ななければいけなかったのか、知りたいのも当然であり、
ただ単に裁判を延ばす弁護団に不快感しか感じなかった。

ゆかいな親類。
変わり者も偏屈者も色んな親類がいるけれど、もし一族の誰かが酷い目に合えば結束して怒るO型野蛮人(笑)
血のつながっていない赤い糸で結ばれた第二の両親。
近くの友達ももちろんだけど、遠い親戚も私には大切な家族なのだ。


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