KAZUのつぶやき 勝手気ままなおしゃべりなページ
思い出話に花を咲かせましょう
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プロフィールにあるように私は昔々トリマーだった。
それは子供の頃から、異常なまでの動物好きが原因でとにかく常に生き物を飼っていた。
犬や猫はもちろん、金魚、熱帯魚、インコ、文鳥、亀、ハムスター、にわとり。
しかも1匹づつではない。文鳥は20匹はいた。いたというより増えたのだ。
グッピーなんかも簡単に増える。お腹が透けて子供が見えるとワクワクしたものだ。
今は、住宅環境の事情で猫4匹で我慢している。
近所からは「猫屋敷」と褒められている。
小さい頃は同級生の男の子に「動物園」に住んでいると言われた。
(今思うとその子は私をとても好きだったんだと思う)
なぜか小さい頃から捨て猫や捨て犬と遭遇してしまう。子供の頃から里親探しのプロだったがさすがに
全部は探しきれず残ったものたちは結局親を説得して飼うことになる。
もちろん今の子供のように最初だけであとは母親まかせのようなウチではなかった。
早起きの私は、家中の餌作りから始まり、帰ってからは小屋の掃除と忙しかった。
それでも楽しみは、全てに名前をつけるのだ。文鳥も同じようでいつも見てると違いがわかる。
私の通っていた小学校では、夏休みにあるイベントをやっていた。
今もあるのかわからないが、それは「どじょうつかみ」(爆笑)
校庭に先生方がシャワーをジャンジャンまいて、そこにどじょうを放し私たちは水着になって
ビニールを持ちそれをつかんだだけ持って帰れる。プレミアにうなぎも少し放してあった。
皆は知っていたらしいが、私はそれを食べるためにやっている行事と思わず、飼育する理科の勉強の
一環だと信じきっていた。
私はへたくそで、いつも3匹ぐらいしかつかめなかったが、3才上の兄と合わせると10匹ぐらいに
なって洗面器に入れていた。ジーッと見る・・・・飽きずに見る。
さすがに名前をつけても見分けがつかない。
金魚好きの父が帰ったら水槽に入れても平気か聞こうとご機嫌で部屋に戻った。
しばらくして母が私を大声で呼ぶ「おいで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」台所にいた母が早く早くとせかす。
「鍋を見てごらん♪」嬉しそうに蓋を開ける母は、豆腐とどじょうを入った鍋を私に見せた。
「どじょうはね熱くて辛くなると豆腐に入っていくんだよ!」ウフフいなごの好きな福島生まれの母。
固まる私・・・・・・。
母は料理上手である。でも、いまだにどうじょうはどうしても食べ物と思えないのは私だけだろうか?
料理に果物を入れるよりひどい。
その2
私はお盆生まれである。夏は一番好きな季節だ。
幼い頃の一番の楽しみは夏祭り。出店がすごく好きだった。
でも綿菓子やソースせんべいには興味が無く、まっしぐらに向かうのは金魚すくい。
自慢じゃないが私は上手だった。おっちゃん泣かせのプロ技だ。
出店の金魚は病気になっていることが多い。水槽に入れる前に薬を入れた桶にいれ、少しづつ水槽の
水を足し、その水に慣れさせる。いつのまにか覚えた死なせない方法。
しかし、ある年のお祭りに見慣れない生き物が売っていた。
「カラーひよこ」
私の目は釘付け。大きくなってもピンクやブルーのにわとりなのか?
ままごとの小物も買いたかったが、私はこのひよこにお小遣いを全額はたいて買ってしまった。
これにはさんざん両親に叱られた。それでも私は頑として最後には泣き落としで飼う事になった。
可愛いピンクの「ぴーちゃん」一生懸命世話をした。
朝は菜っ葉の端切れを細切れにしぬかと小鳥の餌を混ぜる。小屋は父が廃材で作ってくれた。
ぴーちゃんは私によくなつき、私の手から餌をつついてよく食べた。
いつ卵を産むのかなぁと思っていたら、立派なとさかを持ついつのまにか色の抜けた雄のにわとりだ。
ぴーちゃんと私は友達だ。
ぴーちゃんはとても早起きで暗いうちから「コケコッコーーー!」と力強く鳴く。
ある日、学校から帰るとぴーちゃんがいない。たくさん羽が落ちている・・・
私は母に半べそで「ぴーちゃんがいないよぉ」と訴えた。
母は「ぴーちゃんはね、遊びに行ったんだよ」(どこにだよー)
親戚の叔父も来ていて気になったが、私はぴーちゃんが心配で探し回った。
「ぴーーーーーーーちゃーーーーーーん!!」普段大人しい私が大声で探す。
途中同級生の男の子が「あいつにわとり探しているぜ」とからかわれた。
戦後の田舎じゃあるまいし、都会の中野である。にわとりを探している女はそういない。
(でも今思うとその子はすごく私を好きだったんだと思う)
暗くなりがっくり肩を落として帰ると、母が優しく迎えてくれた。
「今日はごちそうだよ。と・り・な・べ♪」ウフフ 母は料理上手である。
しかし、それがぴーちゃんだったと知ったのはずっとずっとあとになってからである。
その事実を知ってから始まったぴーちゃん反抗期。
しかし、近所からの苦情がすごかったのと、姑の命令で叔父が絞める役割をし、
嫁として何も言えなかったことが大人になるにつれだんだん理解した。
そしていつのまにか反抗期も終わっていた。
母は料理上手である。
お歳暮で貰った生きた蟹をゆでるため、嬉しそうに足をもぐ。
蟹がキュンとなく。ゆでたての蟹はうまい。
でも私は蟹どころか生きた海老の皮も今でもむけない。
私は幼い頃、とても静かでおとなしい子供だった。
好きな遊びは「だるまさんがころんだ」と「道に絵を書くこと」
好きな花火は「へび花火」のみ。(皆さんはご存知かしら)
他の花火は怖くて、線香花火も眺めて楽しむことしかできなかった。
初恋の相手もガキ大将タイプは嫌いで、頭のいい静かな男の子が好きだった。
遊ぶときも「けいドロやろうぜ!」っていつも裸足の子より
「百人一首の坊主めくりしよう」「世界地図のジグソーパズルやろうよ」という
白いソックスがまぶしい男の子が好きだった。
引っ込み思案の私は気持ちなど打ち明けられず、その子が引越しをして淡い初恋は終わった。
ただ当時から、嫌いな相手には好かれるという傾向が強く思春期の頃はそれで相当まいった。
たとえばラブレター。
自作の詩を書くやつ。(最低)
しかも、名前の横にペンネーム「幸せを運ぶ青い鳥より」と書いてあるのだ(ド最低)
捨てたかったが、自分の家のゴミ箱に捨てるのが嫌で・・・というより素手でつかむのが嫌で
ちり紙でつかんでくるみ学校のゴミ箱に捨てた(ひどい女だが今告白する)
他にも私の筆箱に汚い字で「よく忘れ物をする君が好きだ」と書いてあった。
よけいなお世話だ。
打ち明けてくれた男の子から、ハートを半分にしたペンダントを貰ったことがある。
その日の夜、気持ち悪くて公園に埋めた。
なぜか思春期にまるで恋愛というものに興味がなかった私は、思い返すと全て拒否してきた。
今思うと・・・・・もったいない(爆笑)
しかし、その当時はストーカーで殺すような事件などなかったから、現代の青春真っ盛りの子は
大変だと思う。
気をつけてね。幸せの青い鳥より(笑)
父さん僕戻ります